知ると面白い 英国軍史 空軍の幕開け 女王陛下の不思議な軍隊はそれでも負けない

知ると面白い 英国軍史 空軍の幕開け 女王陛下の不思議な軍隊はそれでも負けない

第一次大戦で大きな傷を負った英国ですが、大きな教訓も得る事ができました。

それは「もはや戦艦の時代では無い。問題は制空権だ」という事です。この辺りの認識力の速さはさすがで日本はまだ大鑑巨砲主義で戦艦に拘りを見せていたのに対し英国は急速に空軍力の増強を図ります。ヨーロッパの情勢は恐慌状態で、いつどこで何が起こってもおかしくない状況であり空軍力の増強は「最優先必須事項」とされ飛行機の増産とパイロットの養成が物凄いスピードで進められました。一次大戦の西部戦線の戦いを考えた場合「陸軍も増強する必要があるのでは?」と考えますが、それは二の次、となりました。

英国は島国であり地上部隊の攻撃にさらされる可能性が、ほとんどなかったからです。

要はドーバー海峡さえ渡らせなければ良いので、それは陸軍より空軍、海軍の方が優れているのは誰の眼にも明らかでした。この地政学的に優位な島国という立場が英国に空軍の増強さえすれば良いという有利な状況を作り出したのです。大陸の国々は他国と地上線国境があるので常に地上戦を意識しなければなりません。しかし英国は、その必要がなかったのです。とはいえ、空軍の強化への道のりは案外に大変な物でした。

空軍の発足と強化への道のり

英国軍で空軍力の強化に大きな役割を果たしたのはヒュー・トレンチャード少尉という冴えない陸軍士官でした。トレンチャード少尉は士官学校に合格できず「見習い士官」として訓練を受けたものの教官の評価は「使えない奴」というものでインドに赴任させられます。インドでは言葉も分からず食べ物は口に合わず、しかも酒も飲めなかったので「ラクダ」というあだ名を付けられてしまいます。何とか汚名挽回したい少尉はアフリカへの遠征を希望しますが上司は首を縦に振りません。「お前が行っても役に立たん」と思われていたようです。

しかし、しつこく希望を出した所、ようやっと念願叶い遠征許可が出ました。

で、到着した南アフリカで中隊を一つ任されたのですが現地でボーア人と戦闘している際に左胸に銃撃をくらい肺に穴が空き背骨も傷つけられてしまい、以後、下半身麻痺と痛みに苦しめられる事になります。それでも着々と任務をこなし実績を積んで行きます。トレンチャードは実戦はダメでしたが参謀としての才能と才覚があったのです。空軍が発足するとトレンチャードは不自由な体をいとわず飛行訓練を受け警戒飛行部隊の指揮官に任ぜられます。そんな時にアフリカのイラクで反乱が起きました。当時、植民地大臣をしていたチャーチルはトレンチャード指揮官の進言を受け入れ空軍を派遣し鎮圧に成功します。そしてチャーチルは思いました。「この方が安上がりだな」もし鎮圧部隊を編成して船で送り込んだら相当な経費と時間がかかります。飛行機なら数機が飛んでいけば良いので確かに「安上がり」だったのです。当時の英国議会では「飛行機では大砲が撃てんだろう」「あんな小さいもんで国が守れるはずがない」という従来の海戦主戦主義を主張する人も多く、そういう頭の固いご老人であればあるほど、実力者だったりします。そういう人達をトレンチャードは持論で説き伏せ反対派を退けていきます。もちろん、その後ろ盾には稀代の切れ物であり天才的策謀家のウィンストン・チャーチルが付いていたからに他なりません。チャーチルが首相になるとマックス・エイトケンという、これまた稀代の切れ者が航空機生産大臣に任命されます。エイトケンはあらゆる手段を使い、英国中の倉庫から資材を引っ張り出しアメリカのパッカード社(車のメーカー)まで巻き込んで戦闘機を大増産させます。トレンチャードはパイロットの養成を進める一方、航空省を通じて無線電波を飛ばして航空機を発見探知するシステムの実用化をワトソン・ワットに依頼します。

ワットは実用化に成功し5年の間に高空探知用・低空探知用の2種類を用意し死角を無くす事に成功し接近飛行物体の規模、方位、高度がブラウン管に映し出される大規模防空監視システムを構築します。この世界最高のレーダー監視網のおかげで英国は飛来する戦闘機や爆撃機を効率よく迎撃できるようになったのです。エイトケンは引退後、歴史家として知を馳せ、トレンチャードは初代空軍元帥にまで上り詰めます。

ナチスドイツの成立と第二次世界大戦の勃発

一次大戦で散々な目に会い巨額の賠償金に苦しめられるドイツでは国民の不満が爆発寸前でした。その怒りは一次大戦を起こした政治家や政党、王室に向けられ既存政党、既存政治家の排斥につながりましたが、それで生活が楽になる訳ではありません。その国民の不満を利用してヒットラーはナチス党の勢力を拡大し、遂に政権を取るまでになりドイツは「ナチスドイツ」として新たな体制を築きあげました。そしてヒットラーの考えが他国への侵略であろう事は火を見るよりも明らかでした。1939年、ヒットラーはポーランド侵攻を成功させ、その後一ヶ月の間にフランス・ベルギー・オランダの3カ国を占領しパリに到達しました。ついに第二次世界大戦が開戦されたのです。

バトル・オブ・ブリテンの開始

実はナチスドイツの幹部もこんなに早くパリまで侵攻できるとは思っておらず、勢いづいたヒットラーは英国も難なく占領できるだろうと軽く考えていたようで、幹部連中に英国侵攻を指示します。フランス・オランダ・ベルギーが大した抵抗もなく占領できたのでヒットラーは「英国も我がナチスドイツの強さの前に戦わずしてひれ伏すだろう」と考えていた節があります。しかし指示されたナチス幹部は調べれば調べるほどドーバー海峡を渡る事の難しさを知ります。英国には長年、培った精鋭艦隊がおり海を渡って攻めるのは危険すぎました。となると空から攻めるしかありません。しかしドイツの主力戦闘機メッサーシュミット Bf 109は航続距離が短く英国の南東部までしかいけません。かといってもう1つの主力爆撃機メッサーシュミット Bf 110は航続距離は長いのですが重すぎて軽快な動きが出来ず戦闘機に簡単にやられてしまいそうでした。

結論として「とにかくドーバー海峡の制空権を奪おう」という方針が決まり、戦闘機メッサーシュミット Bf 109がフランスの空港に集められます。しかしフランスの空港は手入れが悪く、戦闘機メッサーシュミット Bf 109の主車輪を支える主脚の強度が耐えられず着陸時に主脚が折れる事故が続発します。急いで空港の整備をして何とか集まった大量の戦闘機メッサーシュミット Bf 109で、とりあえず攻めてみる事にしました。

実は「英国侵攻」は当初のプランには入っておらず、いわばヒットラーが勢いで命じた物だったので、このような「とりあえず」の作戦で始まったのです。こうして後年にバトル・オブ・ブリテンと呼ばれる「英国占領のための戦闘機による前哨戦」が始まりました。

ドイツ軍の苦戦

しかしメッサーシュミットが隊列を組んで飛んでいくと、なぜかうまい具合に英国のスピットファイア戦闘機が待ち構えていて、やられてしまうのです。そこでドイツ軍は夜間急襲をかけてみたり早朝急襲をかけてみますが、いつ行ってもスピットファイアが待ち伏せしており、やられてしまいます。さすがにおかしいと感じたドイツ軍は遂に英国に緻密なレーダー監視網がある事を突き止めます。そこで4箇所のレーダーサイトを叩くべく、四方八方から攻める作戦で英国機を分散させレーダーサイト4箇所全てを爆撃して破壊する事に成功します。そして次の日からは、もう大丈夫だと思って出撃したら、またもスピットファイアに待ち伏せされ、やられてしまったのです。なんと英国はたった1日で破壊されたレーダー網を再構築していたのです。ドイツ側は、この事実に衝撃を受けヤケクソの物量作戦に打ってでます。なんと1700機という大編隊を組み英国の南部にある飛行場を叩きに出ました。英国空軍は、これを150機の戦闘機で迎え撃ち見事に撃退してみせたのです。ドイツ側の爆撃機は防御力が弱く機銃が当たると墜落してしまい英国側の圧勝でした。この勝利にチャーチル首相は「人類の歴史の中で、かくも少ない人が、かくも多数の人を守ったことはない」と演説し空軍に賛辞と激励を送ります。しかし既に戦いは3ヶ月に及び英国側も、それ相当の被害をこうむっており飛行機もパイロットも減ってきており予断を許さない状況になってきていたのです。

英国陸軍の協力

空軍がドイツ軍と戦っている間、陸軍が何もしないではいられません。

そこで陸軍側も何か敵の飛行機を打ち落とす方法は無いかと考え、高射砲という高空まで打てる大砲を作り空軍を援護する事にしました。

そして実際に高射砲を並べて敵機が来たらドンドンと撃ちましたが全然、当たりません。あまりにも当たらないので一体、命中率がどれ位あるのか集計した所、5000発に1発しか当たっていない、という驚くべき事実が分かりました。これでは全く援護になっていません。そこで高射砲は止めにして次はダブルパラシュート作戦というのを実行しました。それは以下のような作戦で気球船でロープを張っておき、敵機がロープに引っかかるとパラシュートの付いたロープが切り離され開いたパラシュートが飛行機の前進力を奪い墜落する、という物で実際にあちこちに仕掛けられました。

で、やってみたのですが、何故か敵機は全然かからず逆に英国の戦闘機が引っかかって、危うく墜落しそうになり中止されました。

しかし陸軍は次の手を考えました。陸軍には火炎放射機という物があるので、これをでーっかくして空まで届くようにすれば敵機を狙い撃ちできるのでは、と考えたのです。で、実際にばかでっかい火炎放射器を作り試し撃ちしてみました。

これを「シング対空火炎放射器」と言いますが、試射に参加して模擬敵機をしていた戦闘機のパイロットは相当にびっくりしたそうです。しかし飛行機までは届かず、ただ単に「びっくりさせただけ」という結果で、しかも撃った後に火の玉がぼんぼん落ちてきて辺り一面、焼け野原になってしまいました。幸い「ただの野原」だからよかった物の、市街地で撃ったら市街地が焼け野原になってしまう所でした。結局、陸軍は、もっぱら塹壕を掘る事に集中する事になりました。

かけひきの開始と思わぬ事故

さすがに両軍とも飛行機、パイロットとも不足してきたので英国空軍は爆撃機だけを狙う事にして敵軍が戦闘機だけの場合は戦闘せずに引き揚げるようにしました。実際、戦闘機がロンドンに来ても大した事はできないので放っておいても問題は無いのです。それに航続距離の関係でドイツの戦闘機はロンドンまで行ったら帰れなくなってしまうので、後は捕まるか燃料切れで墜落するしかありません。で、ドイツ側は戦闘機群の中に爆撃機を隠すようにして飛んでくるなどのかけひきをしている時に思わぬ事故が起きました。ドイツの爆撃機がテムズ川の河口施設を狙って飛んできたのに間違ってロンドンへ行ってしまい市街地を爆撃してしまったのです。これは完全にパイロットの勘違いによる物で被害も小さい物だったのですがチャーチル首相は「市外地を攻撃しやがった!」と激怒し、ベルリンに爆撃機を飛ばし報復爆撃を行いました。これを聞いたヒットラーも「市街地を攻撃しやがった!」と激怒し1000機を越える大編隊を組みロンドン爆撃を命じました。

ロンドン大空襲

1000機の大編隊は英国側のレーダー網を知っていたので、わざと欺瞞的なコースを使い英国空軍の迎撃機を混乱させる事に成功しロンドン爆撃を実施します。陸軍が掘っていた塹壕が市民の命を救いましたがロンドンの町は相当に破壊されてしまいました。空軍は全ての戦闘機を発進させ迎撃させた結果、ドイツ側も甚大な被害がでてしまい、あまりの被害の大きさに遂にヒットラーは英国侵攻作戦の中止を命じました。

一方、ロンドン市民は破壊されたロンドンを見て怒りに燃えました。

「あの野郎! ただじゃおかねぇ!」という具合で全市民が一丸となってドイツを叩き潰すためなら何でもやるぞ!という具合に燃え上がりました。飛行機が少なくなってしまったので家具屋さんや木工所が木材を使って飛行機を量産しましたが、この製作にロンドン市民はこぞって協力をしました。これをモスキートと言います。金属材料が不足しており考えられた代替案です。この飛行機に使われた木材はロンドン市民が持ち寄った「先祖伝来のアンチーク家具」が多数、使われており、お値段にしたら、ん百万もするような物もあったそうです。

しかし、さすがに「今時、木製の飛行機なんて大丈夫なのか?」という意見もあったのですが、英国の木材加工技術は優れておりモスキートの機体表面は通常の航空機より遥かに滑らかで空気抵抗が少なく重量も軽く相当なスピードが出せ、燃費も良く旋回性能も優れておりメッサーシュミットはついにモスキートを一機たりとも撃墜できなかった位に威力を発揮しました。またモスキートは木製ゆえにレーダーに映らないという利点があり(つまりステルス機)二次大戦が終わった後、各国が競って導入しています。ただ接着剤を使っていたので暑い地方では接着材がはがれて空中分解してしまうという難点がありました。

また空軍もスピットファイア LF.9という低空飛行を得意とする戦闘機を開発、量産し「時々やってくるドイツ機」はことごとく撃墜されてしまい、遂に英国は制空権を一度もドイツに渡す事なく守り抜きます。

V1、V2ロケットの空襲

第二次大戦も中盤にさしかかってきた1942年、ナチスドイツはV2ロケットを実戦配備します。当時、V1、V2という2つのタイプの無人攻撃機が開発されていたのですがテスト結果からV2が先に配備されV1は1944年になってからの実戦配備となりました。

V1はパルスエンジンという動力で飛んで行き、一定回転以上するとエンジンが止まり、落下して爆発するという仕組みで現在の巡航ミサイルの元祖とも言える物です。ちゃんと方向制御、高度制御も自動的に行われる仕組みでまだコンピュータが無い時代には画期的な技術が使われていました。

V2はロケットエンジンで打ち上げられ一旦、成層圏を超え宇宙空間まで飛び出してから落下してくる仕組みで現在のICBMの元祖とも言える物です。こちらもちゃんと姿勢制御システムを持っており難しい弾道計算もしっかりとされており、驚愕に値する技術が用いられていました。しかし両者とも、あまりに画期的すぎて実戦武器としては、あまり役には立ちませんでした。まずもって命中精度があまりにも低いのと故障率が高すぎたのです。

V1は主にロンドンに向けて発射されましたが、その総数は8,564発。V1は普通に空中を飛んでくるのでレーダー探知が可能で迎撃も出来ましたし、V1本体が故障して墜落という事も多く「とにかく英国まで着いた」のは全体の28%で後の72%は故障墜落するか英軍機に撃墜されました。で、何とか英国まで着いた物も目標のロンドンに落ちたのは9%で他のV1は野原に落ちたり林に落ちたりでしたが、それでもおよそ216発がロンドンに落ちた計算でV1による実際の死者および重傷者は24,165人と言われています。V1はむしろロンドン市民に心理的恐怖を与えました。独特のエンジン音で飛んできて、それが無音になり暫くすると爆発音が聞こえます。無音にになってからの数秒間はまさに恐怖だったそうです。

またV2は真上から落ちてくるので防ぎようが無かったのですが爆発力そのものは大きな物ではなく故障も多くロンドンに発射された1152機中、実際にロンドンに落ちたのは517機でした。V2はほとんど死傷者を出していません。なおV2の開発に係わったフォン・ブラウン博士は有名な人ですがドイツ宇宙旅行協会という宇宙旅行をするぞ、という人達の作った協会で研究をしていたアマチュアの学者でナチスに協力的だった訳でなく逆に「軍用のロケットには関心が無く英国へ亡命する計画がある」という嫌疑でゲシュタポに逮捕され裁判にかけられた事もありました。

V1、V2は画期的な物でしたが、これが勝敗の決め手になる訳もなくナチスドイツは連合軍の前に殲滅され第二次世界大戦は終わりを迎えます。英国はは第二次世界大戦では多少の傷は負ったものの事前準備が素晴らしく整っていたために軽症で済み戦勝国となりました。多少、陸軍が面白い事をしてくれましたが全体的に非常にうまく機能した、というべきでしょう。英国という国はその時代にあった人材がなぜか、うまく登場してきて活躍してくれるのです。これは国民性とも関係がありそうですが、女王陛下の人徳と言う物かもしれません。しかし次に英国に起こった出来事は「呆れかえるほど運が良い」としか言えないくらいに運が良い出来事でした。

最新記事↓

タグ一覧↓

すまい給付金 イギリス ウイルス シングルマザー ジブリ スピリチュアル スポーツ ダイエット バイアス メンタルトレーニング 不動産投資 住宅ローン減税 切手 動物占い 北朝鮮 営業の見える化 営業マンの交渉の極意 営業マンの売れる極意 営業マンの売れる話し方の極意 営業マンの契約する極意 営業手法 弾道ミサイル 授業 教え方シリーズ 映画 潜水艦 相手にしゃべらせる質問術 知ると面白い 細菌 自動化営業法 豊かになるお金の話 除毛 音楽 龍涎香