知ると面白い 江戸時代に虫歯になったら? 痛ぁ~い話

知ると面白い 江戸時代に虫歯になったら? 痛ぁ~い話

私達は歯が痛くなったら歯医者に行きます。すると専門の知識を持った医師が治療をしてくれます。そして、その治療が痛みを伴う物であれば麻酔をかけてもくれます。しかし、もし、あなたが江戸時代に生まれたとしたら、どうなるのでしょうか? 今回はそんな江戸時代の虫歯治療のお話です。

江戸時代に虫歯は有ったのか?

虫歯というと甘い物が原因というイメージがあります。そして江戸時代に砂糖は貴重な物で一般庶民には簡単には手に入らない物というイメージもあります。だから江戸時代の人達には虫歯は少なかったのではないか? と考える人もいるでしょう。しかし、それは半分、正しく半分、間違っています。虫歯の原因はストレプトコッカス・ミュータンス菌という菌に感染する事で起こります。この菌は主に砂糖などの単糖類・二糖類を酸に変えてしまい、それが歯のエナメル質を溶かしてしまい虫歯になってしまうのです。つまり砂糖を摂る事が虫歯の原因になるのです。米などのでんぷん質ではミュータンス菌の働く余地は無いので、虫歯は発生しません。

そして江戸時代初期に砂糖は確かに輸入に頼るしかない貴重品でした。しかし台湾からの砂糖輸入代金で幕府の財政が圧迫されるまでになり、危機感を覚えた8代将軍徳川吉宗の命を受けた平賀源内が砂糖の国産化に成功します。これが和三盆です。その後、国内でも、あちこちで砂糖の生産が開始され江戸中期から砂糖は以前ほどの貴重品ではなくなりました。夏場になると水に砂糖を入れた砂糖水という物が江戸市中でも売られるようになる位だったのです。和菓子の生産も始まり、団子や饅頭や羊羹には砂糖が使われ始めました。となると、当然ながら中期以降の江戸時代の人々にも虫歯は発生する事になりますが、実際に沢山、発生しており絵図に残され、対処法も存在していました。俳聖・松尾芭蕉は「衰ひや 歯に喰ひあてし 海苔の砂」と歌っていますが芭蕉も虫歯に悩まされていたそうです。また小林一茶も「かくれ家や 歯のない口で 福は内」という句を残しています。一茶は歯周病で49歳の時に全ての歯が抜けてしまったそうで、この句はその後に読まれた物だそうです。

江戸時代の虫歯の対処法

対処法といっても歯医者はいない時代です。ですので以下が虫歯の対処法でした。

  1. 神仏に祈る
  2. 漢方薬など売薬を服薬する。
  3. 民間療法の生薬を飲む。
  4. 病封じのおまじないをする。
  5. 痛いところに竹筒をあてて、その先端に灸をすえる。
  6. 大根の汁を痛くないほうの耳へ注ぐ。もしくは患部に塗る。
  7. もぐさの煙を鼻から吸って口から出す
  8. 痛い歯を抜く

1~7はほとんど効果が無く、結局、8の痛い歯を抜く、という事しか実質的な治療法はありませんでした。

これはユニークな絵師として知られる歌川国芳の一枚ですが、要ははヤットコのような物で無理やり抜いていたようです。もちろん、麻酔はありませんし、抜いた後の鎮痛剤や抗生剤の投与もありません。なんとも痛そうで考えただけでも、ブルッとします。これは一般庶民だけでなく大名などの上流階級でも同じでした。むしろ一般庶民より早い時期から砂糖を口にする事が出来た上流階級の人達ほど虫歯に苦しめられてきたようで大名などには「口内医」という専門の医師がいましたが、やる事は同じで最終的には歯を抜くという方法が取られたようです。一説にはいわゆる「曲芸師」と呼ばれる人の中には、歯を抜く名人がおり痛みを感じさせずに抜く、というので有名になった事もあるそうですが内容は定かではありません。

しかし段々と歯を抜いていくと物が食べられなくなります。そこで入れ歯が登場します。「口中入れ歯師」という入れ歯作りの専門職人がおり、その人に合わせて作ったそうです。江戸文化以前から日本は工芸技術に優れており「口中入れ歯師」の作った入れ歯は実用性が高く、ちゃんと食事も出来たそうです。同時代の世界の中でも「口中入れ歯師」の作った入れ歯は群を抜いて優れた機能を持っていたようです。

とはいえ、麻酔無しで歯を抜くのは相当に痛い事は想像がつきます。だから中には、それがいやで「我慢」してしまう人達もいたでしょう。虫歯が痛いのを我慢して放置しておくとどうなるか、というと虫歯は他の病気と違い、自然治癒はあり得ません。ですので、歯神経が徐々に侵され、アゴの骨を溶かしながら大きな膿の塊ができ、その膿が脳に侵入し全身に広がっていき死に至ります。ですので、そうなる前に、いくら痛くても抜歯した方が賢明とは言えるのです。

しかし虫歯はミュータンス菌という菌による感染症なので抜歯した後に消毒治療と抗生物質を投与しないと高い確率で敗血症を起こします。抗生物質が普通に投与できる現代でも敗血症の患者の死亡率は30%程度です。ましてや江戸時代では抗生物質があるはずもありません。抜歯後に敗血症で死亡した人は物凄く多かったでしょう。

甘い物の魅力

江戸時代に砂糖が入ってくるまで、日本人は「甘い物」を食べる事がほとんどできませんでした。僅かに「干し柿」や甘蔓というツタからとれる樹液を煮詰めた物があった位です。甘蔓の樹液を煮詰めた物を「あまづら」と言い清少納言が枕草子で「あてなるもの(上品なもの、よいもの)」の段に「削り氷(けずりひ)にあまづら入れて、新しき金鋺に入れたるもの」と記している位ですが、「あまづら」は長年、幻の甘味料と呼ばれていました。そこで某大学で文化史総合演習の一環として、この「あまづら」を実際に作ってみたそうです。えらい人数とえらい手間をかけて、やっと出来た「あまづら」は本当に何とも言えない上品な甘さであったそうです。ですが、それを作る労力たるや半端な物ではなく、とても量産できるような代物ではない事も分かりました。ですので、上流階級の一部の人だけが味わえた物だったのでしょう。

人間の舌は、甘味、塩味、酸味、苦味、うま味という5つの味覚を感知することが出来ます。しかし塩味、酸味、苦味、うま味は強すぎると決して「美味しい」とは感じません。ですが甘味は強すぎる塩味、酸味、苦味、うま味を抑えてくれる効果があるのです。つまり5つの味のアンバランスを補正してくれるのです。だから甘い物を入れると美味しく感じます。砂糖が国内で量産できるようになった江戸時代中期以降に多くの人が甘い物を食べたがったのは当然の事だったのです。

江戸時代の人達の平均寿命はおよそ32歳~44歳の間と言われています。もちろん医療の未発達な時代ですので幼児の死亡率も高く、盲腸や風邪をこじらせて肺炎になれば、もう助かりません。天然痘、破傷風、狂犬病、赤痢などの感染病に対しても何ら打つ手はなかった時代です。虫歯を抜歯して敗血症で死ぬ人も相当いたと推定されます。私達は体に異変が起これば、それを診て直してくれる医師がいますし医療機関があります。ですので盲腸で死ぬ事はありませんし天然痘は撲滅され破傷風や狂犬病などの危険な伝染病に対してはワクチンという対抗手段を持っていますし、歯が痛くなれば歯医者に行けば治してくれます。その点、私達は「運のいい時代」に生まれたと言っていいでしょう。しかし、それは単に「運がよかった」だけで私達自身が、この時代を自分で選んで生まれた訳ではありません。たまたま、生まれた時代が、そういう時代であったというだけの事、とも言えるのではないでしょうか? そうであれば、我々は今という時代に生まれた事を感謝すべきかもしれません。「そうでない時代に生まれてしまった人達」から見れば「なんでお前たちだけ恵まれた生活をしているんだ。俺たちと比べたら、あまりにも不公平ではないか?」と言われたら返す言葉も無いでしょう。ならば、せめて「そういう時代もあった」という事を知っておき、今の自分の生活がいかに恵まれた物であるか、にあらためて想いをはせてみる事は決して無駄な事ではないでしょう。

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