タイムマシンの可能性とターミネーターの矛盾

タイムマシンの可能性とターミネーターの矛盾

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アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「ターミネーター」という大ヒット映画をご存じでしょうか?シュワルツェネッガーを一躍、スターダムに押し上げたSF映画ですが、要は「悲惨な未来を変えるために過去に行き、悲惨の元凶となった物を除去して未来を変えよう」という内容です。その他にも、過去と未来の間を行き来するネタを扱った作品は、これまでにも沢山、作られてきました。しかし本当に、こういった時間軸の移動というのは可能なのでしょうか? もし可能だとしたら、それはどんな物なのでしょうか?

これまでに明らかになっている事実を積み重ねてみて、出来る範囲で検証してみたいと思います。

1・そもそも時間とは何か?

実をいうと「時間」という物は一体、何なのか、について人類はそれを知る術を持っていません。以下にWikipediaから主要部分を抜粋します。

時間というのはあまりに基礎的で、あまりにとらえがたく、人は比喩を用いて“流れ”と表現する。人間にとって理解しやすい川の流れなどに喩えている。人間というのはとらえどころのない対象については比喩を用いて表現し、それを理解のきっかけとして用いようとする。ただし、比喩というのは、異なるものどうしを結びつけて用いるものなのであり、つまり実は本当は、「時間」は「流れ」ではない。時間は本当は”流れ”ではないからこそ、比喩として成立している。(中略)

時間というのは人間にとっては比喩で表現して理解のとりかかりにしようとするくらいがせいぜいであり、正攻法で知的に考察しようとすればするほど困難に突き当たり理解しがたいものなので、時間について考察したアウグスティヌスは「私はそれについて尋ねられない時、時間が何かを知っている。尋ねられる時、知らない」と述べた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93

数学では「公理」という物が存在します。例えば「平行でない二つの異なる直線はただ一点で交わる」というのは公理であり、『そうであると決まっている物であり疑いようがなく証明を必要としない物』です。物理学の世界では時間は、この公理と同じ扱いをされており「疑いようもなく存在する物であり説明は不可能な物」なのです。

よく、一次元、二次元、三次元という物の説明を「点」「平面」「平面+高さ」と定義し、もし4次元があるとすれば、その要素は時間であろう、と説明されます。

一次元、二次元、三次元の間には「ある次元を輪切りにした場合、その切り口は一つ前の次元となる」という性質があり、その性質から考えつかれた概念ですが、これも上記のWikipediaの説明によれば、そもそも時間は流れではないので誤った考え方、となってしまうのです。ですので「時間とは何か」を考えるのは、まさに「時間のムダ」なのです。

言語学では「言語の発生についての議論は禁止」というルールがあります。なぜなら諸説、述べても絶対に証明ができないので「ムダな議論」になってしまうからです。

自然現象の中には、このように説明不可能であり証明も不可能、そもそも理解しようとしてもムダ、と言える物が存在しており時間も、その一つなのです。

2・それじゃタイムマシンは作れないのか?

時間が帯のような流れではない、としたら、そもそも「時間という帯の中を行き来するタイムマシン」など出来る訳が無い、という結論になります。しかしWikipediaの説明には、ある言葉が抜けているかもしれません。それは「現時点では」という言葉です。

つい、300年前には「説明不可能」だった物が現代では科学的説明が付けられるようになった物は沢山あります。「時間だけは例外だ」という主張は「そもそも現時点では説明不可能」である以上、その証明も不可能ですから説得力を持ちません。

そこで百歩譲って、数百年後には人類は時間という物を解明し、ついにタイムマシンが実現したと仮定して考えてみいましょう。一体、何が起こるのでしょうか? 

それを「現時点で分かっている物理学、哲学の観点」から考えてみたいと思います。

3・では未来に行くぞ

さて、ではタイムマシンに乗って、まずは未来に行ってみることにしましょう。とりあえず5年後あたりでテストです。さて、行くための方法、つまりタイムマシンの原理ですが時間を「帯のように流れ連続性のある物」と無理やり考えた場合、未来に行く方法は2つあるはずです。

  • 1:時間の帯の中を移動して前に進み未来に行く
  • 2:時間の帯を飛び出して一気に未来に行く

さて、1の場合、時間の帯の中を移動していくのですから、タイムマシンに乗っている人や物も移動した時間の影響を受けると考えるのが自然です。なぜなら時間の帯の中を移動する事は「時間の経過」であり、タイムマシンはその時間経過を高速で移動できる物であろう、としか考えられないからです。普通なら1時間待つには1時間が必要ですが、タイムマシンなら1時間を短縮して0.001秒位にできる、という理解以外に時間の帯の中を移動できる原理は無いと思われるからです。

つまり25歳のあなたがタイムマシンに乗って5年後に行ったら、着いた時には30歳になっている、という訳です。でも、大丈夫です、またタイムマシンに乗って5年後に戻れば時間を遡っている最中にあなたは若返り、戻ってきた時は25歳に戻るはずだからです。

そして時間を過去へ遡るに従い、記憶や知識も過去に戻っていくはずなので戻ってきた時には、未来についての記憶は一切、残っていないはずです。

仮にビデオやメモを取っておいたとしても時間を遡り、戻る途中でビデオやメモに記録された内容も過去に戻る時間経過の中で全て「記録を取る前の状態」に戻るはずです。

つまり「戻ってきたら、戻ってきた時点の状態に戻る」はずなので未来についての記憶や記録は一切、残すことは出来ないことになります。

これでは「何のために未来に行ったのか」意味が分かりません。

実は多くのタイムトラベルを扱った作品では暗黙のうちに「時間移動中、移動している物や人は一切、時間軸の影響を受けない」という前提条件が付いているのです。

しかし残念ながら、これまのでの経験値から見ると自然の原理は絶対であり、時間軸なる物が存在し、その中を移動したら「その時の状態」になるだろうと考えざるを得ないのです。過去に行けば行くほど、あなたは若返っていき産まれる前までいくと存在は消えます。未来に行けば行くほど、年老いていき寿命が尽きれば死んでしまうと考えられます。

もし300年後の未来に行ったとしたら、あなたは「もう死んでいる」はずです。従って、到着した時にあなたは存在していないので消えているのです。

宇宙に存在する全てのエネルギーと原子はリサイクルされており、私達が死ぬと、私達の体を構成していた分子、原子は解放され、一部はこれから生まれてくる赤ちゃんの体の一部となり一部は雑草や虫や動物になります。そして宇宙に存在する全てのエネルギーと原子質量はエネルギー保存の法則により常に一定量を保っています。

従って、もし300年後の未来に行ったあなたが出発時点の体のまま、到着してしまったら、あなたが死んで解放された原子を持つ物は、あなたが到着した世界では存在できないことになってしまうのです。また、移動開始した時点の宇宙全体のエネルギーと原子量は、あなたがいなくなった分、減ってしまい、到着した未来の時点の宇宙は、あなたが来た分、増えてしまう結果となります。これは完全にエネルギー保存則という自然科学の強固な法則に反する物なのです。従って「時間移動中、移動している物や人は一切、時間軸の影響を受けない」というのは考えられない、と言わざるを得ないのです。

では2はどうでしょう? 果たして、そんな事ができるかどうかは別として、ここでも1と同じくエネルギー保存の法則が立ちはだかってしまうので、仮に出来たとしても1と同じ結果になるだろうと考えられるのです。

4:ところで未来は決まっているのか?

3の説明は物理学的な説明で、何となく、この時点で「無理そうだな」と感じますが、せっかくですからバックトゥーザ・フューチャーに登場した、あるシーンを考えてみましょう。

未来の本屋で、その人物は「それまでのスポーツの記録本」を手に入れます。そして過去に戻った彼は、その本を見ながらスポーツギャンブルで勝つ方に賭け続け巨万の富を築きあげます。これは、詰まるところ「未来がどうなるかは決まっている」という事を示しています。哲学的な問題として「宿命論」と「選択論」というのがあります。

宿命論とは「未来は全てあらかじめ決定されており変更はできない」という考え方です。

選択論とは「未来は選択する事によって変わる物である」という考え方です。

先のバックトゥーザ・フューチャーにおける巨万の富を築くシーンは当然ながら「宿命論」です。実は多くのタイムマシンを扱った物語は「宿命論」を前提としています。そうでなければ、わざわざ「未来を変えるために過去に来る」意味などないからです。

もし「選択論」が正しいのであれば過去を変えても、それに沿った未来になるとは限りません。それでは物語が成立しないので物語では宿命論にならざるを得ないのです。

では、本当に宿命論が正解だとして、過去を変えたら未来は変わるのでしょうか? 実は、この問に対しYESと言った瞬間に、それは「選択論が正しい」と言っているのと同じことになるのです。つまりターミネーターのストーリーは宿命論が大前提であるにもかかわらず、選択論も有りだ、と言っているのです。これは大きな矛盾と言わざるを得ませんが、そもそも「本当に、どちらかしかないのか?」すら人類には分かりません。ですので「矛盾だ」と指摘することもできませんが「何かおかしくないか?」位のことは言えるのではないでしょうか?

いかに時間移動、タイムトラベルというのが多くの問題点を抱えているか、という事はご理解頂けたかと思います。最後にwikipediaの記載に少しだけ反論しておきたいと思います。

 「比喩というのは、異なるものどうしを結びつけて用いるものなのであり、つまり実は本当は、「時間」は「流れ」ではない」

確かに比喩は異なる物どうしを結び付けて用いる物ですが、人類が「時間は一連の流れである」という表現をしているから「時間は流れではない」と断定はできません。

「人間というのはとらえどころのない対象については比喩を用いて表現し、それを理解のきっかけとして用いようとする」傾向があるのは事実ですが、その傾向を根拠にして「時間は流れではない」と断定するのは言葉の解釈を盾に取っただけの推測であり、推測で「時間は流れではない」という断定を下すのは早計だ、と反論しておきたいと思います。

つまり、もしかしたら「タイムマシンは出来るかも」しれないのです。最も、出来たとしても、あまり役に立ちそうもありませんが……。

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