日本航空123便墜落事故を再検証する

日本航空123便墜落事故を再検証する

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今から36年前に発生した、単独機の航空事故の死亡者数として世界最多の520人の死亡者を出した日本航空123便墜落事故については、現在でも数々の疑惑や陰謀説が流れています。youtubeでもフライトデータレコーダー から再現してみた動きやボイスレコーダーを再現してみた物が沢山、アップされており事故関係の本は今でも売れています。

事故が発生した8月12日にはTVで取り上げられることもあり、当時の関係者の証言が放送されることもあります。そして、これらの内容は一様に「何かおかしい」という主張がほとんどです。つまり事故調査委員会の最終報告には納得できないという内容なのです。

まるでアメリカのJFK大統領暗殺事件のように、この事故は「未だに真相は解明されていない」と信じる人は多いのです。そこで、疑惑、陰謀説の主張と現実の証言、記録を突き合わせてみます。もちろん、証言や記録が全て100%正確である根拠はありません。

あくまで「残された記録」ですので間違いもあるかもしれません。ただ、やみくもに「おかしい」「有り得ない」と主張する内容が多いので「こういう記録、証言、事実も有る」という事を知っておいて頂きたいのです。時系列で疑惑、陰謀説を唱える方の主張を挙げて、それに対する記録、証言、を当てはめてみたいと思います。最終的な判断は多分、 誰にも出せないと思いますが、「誤った内容」はやはり排除すべきだと思うからです。

・自衛隊の標的機「オレンジ」が垂直尾翼に衝突したのが事故原因であり、事故調の主張する圧力隔壁の爆発ではない。

これについて、ボイスレコーダーに残されていた航空機関士の音声がよく引き合いに出されます。事故調査委員会は「オールエンジン」と報告し、懐疑派は標的機を意味する「オレンジエア」と主張しています。なぜなら、自衛隊が標的として使う飛行体はオレンジ色に塗装されているからです、また、この説の証拠として下記の写真もよく引き合いに出されます。

この写真は犠牲者の一人である小川哲さんが機内から撮影した10枚の写真の中の1枚で墜落現場から回収されたカメラに残っていたものです。問題は中央左側にある黒点で、これが自衛隊の「標的機」と呼ばれる無人機ではないか、というのです。そして、この無人機が垂直尾翼に衝突したのが「真の原因」ではないかという物です。しかも写っている風景から123便の位置を逆算すると、この写真は事故が起きた時間に取られている計算になるのです。これだけ提示すると、いかにも自衛隊の標的機が当たってしまったのではないか? と思えてしまいます。

123便のボイスレコーダーとして一般に流布しているものは2000年7月にマスメディアに流出したもので、この時はTVでも流されていました。内容的にはまさしく123便の物と思われますが明らかに全部ではなく一部の音声であり、相当に編集の手が入っていると思われますが、正式に公開された物ではなく「事故調査委員会の誰かがリークしたもの」なので、よく「改ざんされている」「意図的な編集がなされている」と言われますが、そもそも正式に公開された物ではないのです。まずは問題となっている事故発生時の部分を文書化してみましょう。

  • 18:24:36 (異常音発生) ※爆発音というより「グワシャッ」という感じに聞こえる
  • 18:24:38  機長 「まずい」
  • 18:24:40  機長 「なんか爆発したぞ」
  • 18:24:42  機長 「スコーク77」
  • 18:24:42   副機長「ギアドア」
  • 18:24:43   機長  「ギア見てギア」
  • 18:24:44   航空整備士「えっ?」 
  • 18:24:45   副機長「ギア部、ギア部」
  • 18:24:47   機長  「エンジン?」
  • 18:24:48   副機長「スコーク77」
  • 18:24:49   航空整備士「オ?????」 ←問題の部分
  • 18:24:52   副機長「これ見てくださいよ」
  • 18:24:52   航空整備士「えっ?」 
  • 18:24:57   航空整備士「オ?????」 ←問題の部分と同じ感じの単語
  • 18:24:57   副機長「ハイドロプレッシャ見ませんか?」
  • 18:24:59   機長  「なんか爆発したよ」
  • 18:26:03   航空整備士「ギアファイブオフ」

問題の部分

事故調査委員会で音声の解読を担当したのは航空自衛隊航空医学実験隊第一部視聴覚研究室の宇津木成行氏でした。同氏はインタビューに対し「非常に聞き取りにくい音声であるが、前に機長がエンジン?と聞いているので、それに答える形で「オールエンジン」と答えたのではないかと考えた。絶対にそうかと言われると断言はできない」と言っており、のちにノイズ除去した音声を聞いた宇津木氏は「オレ……ギア」と言っている感じが強いと述べており、自ら「オールエンジン」ではなさそうだ、と述べています。

実際に聞いてみると分かりますが、確かに「オレンジ……」と聞こえます。オールエンジンとは聞こえません。むしろ「オレンジエア」と聞き取れてしまうのです。実は、この部分が「オレンジエア」と聞き取れてしまうことが調査委員会の調査報告を怪しいと疑わせ、陰謀説を生む根源になっているのではないか? と考えられるのです。

自衛隊の標的機がオレンジ色をしており、空を飛ぶのでエアという言葉はふさわしいと考えれば、「オレンジエア」=自衛隊の標的機を意味する隠語、と思われても仕方がないと思われるからです。しかも、タイミング悪く、ちょうど事故発生時に近くの場所に「まつゆき」という海上自衛隊のミサイル搭載艦が訓練のために航行していたので、陰謀説は一気に信憑性を持ち始めました。また墜落した123便の胴体下部に赤っぽい色がこびりついているように見えたことも、さらに陰謀説の信憑性に拍車をかけました。全ての疑問は、この航空整備士の「オレンジ……」という言葉から始まったといっても過言ではないのです。

しかし航空整備士は進行方向に対し右側を向いて全面パネルの前に座るので仮に窓の外をオレンジ色の飛行物体が通っても左を向くか、振り返らないと外を見る事はできないはずなのです。つまり、コックピット内の最も視界が悪い場所にいるのです。その航空整備士が事故原因となる物体を目撃したのなら、機長も副機長も見ているはずです。しかし二人からは「オレンジ……」という言葉は一言も出ていません。もし本当に「オレンジエア」が自衛隊の標的機を表す隠語なら、機長や副機長からも同じ言葉が出るはずです。

そして、この部分の会話は2020年に、音声デジタル処理の専門家の手により、ほぼ完全な形で解析されています。「オ?????」の正解は18:24:49は「オレンジギア」 、18:24:57は「オレンジドア」と断定して、ほぼ間違いありません。油圧を喪失した結果、機長と副機長から見える前面パネルにある「ギアドアの異常」を示すアラームが点灯したのです。それで機長と副機長は航空整備士にギアドアを確認するよう指示をしたのです。機長と副機長に見える前面アラームはギアドアの異常の有無だけで、5つあるギアドアのどれが異常を起こしたのかは航空整備士の前にあるパネルでしか分からないからです。航空整備士の前にあるパネルは正常ならグリーン、異常ならオレンジに点灯します。そして全てのギア(車輪)がオレンジに点灯していたので「オレンジギア」という表現で伝えようとしたと考えられます。18:24:52副機長「これ見てくださいよ」は航空整備士に前面パネルにあるギアドア異常のアラームを見てくれ、という意味に考えられます。つまり「ギアだけじゃなくギアドアも見てくれ」という意味です。ですので、それに答えて「オレンジドア」という答えになったと考えるのが妥当と思われます。

通常の着陸ではギアドアを開きギアを正常に下すと前輪も含め全てグリーンに点灯するので「ギア・ファイブ・グリーン」と言う表現でギアの準備が出来た事を伝えるのですが、この場合、オレンジに点灯していたので「オレンジギア」「オレンジドア」という表現で伝えようとした、と考えて間違いないと思われます。ギア部の動作は油圧(通称、ハイドロ)で制御されていますので副機長は油圧の圧力値であるハイドロプレッシャーの確認を提案しているのです。この部分の解析はyoutubeでも公開されています。つまり異常発生時のコックピットの会話は事故原因とはなんら関係はない、と考えられるのです。

また一部では機長の 「スコーク77」という発言のスコークを「自衛隊の用語」と誤った説明をしているケースが見受けられます。スコークとは航空無線コードのことであり、緊急事態を表すコードは7700なのです。 機長と副機長の「スコーク77」という言葉は緊急事態を発信、という意味なのです。

https://airband-japan.jimdofree.com/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E5%89%B2%E5%BD%93%E8%A1%A8/

また仮に何等かの飛行物体が衝突したのであれば、その衝撃が123便にも発生するはずですが、数少ない生存者であり、飛行機には慣れているフライトアテンダントであった落合由美さんは以下のように述べています。「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。

テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった」※吉岡忍著 「墜落の夏」より引用

元日本航空機長の杉江弘氏はフライトデータレコーダーを分析した結果、「自衛隊の標的機が垂直尾翼に衝突したとすれば、機首は標的機の飛んできた方向に振れるはずだが機首方位は約5秒間微動だにせず、10秒後もほぼ250度を維持していた。横方向加速度は最大でも0.1Gにも達しておらず、垂直尾翼に外から力が加わったとは到底考えられない」と落合さんの証言を裏付けています。

また油圧用オイルが短時間に大量に噴出してしまう現象は内部破壊によるものであり、外部破壊であれば123便のように急激な油圧喪失を起こすことは考えにくい、と衝突説を完全に否定しています。

また事故が発生した場所は当然ながら羽田空港のレーダー管制エリアであり、不審な飛行物体がいればレーダーに感知されるはずですが、そういった報告は一切、ありません。

また衝突説派が根拠とする「尾翼の残骸付近の赤い物体」は、主翼の一部であることが確認されています。※堀越豊裕著『日航機123便墜落 最後の証言』平凡社〈平凡社新書〉

確かに犠牲者の小川哲氏の撮影した写真は不思議であり、これだけは説明が付けられません。もしかすると内部破裂で飛び散った垂直尾翼の破片かもしれませんが推測でしかありません。いずれにしろ自衛隊の標的機衝突説は無理がありすぎる、と言わざるを得ないのです。

・自衛隊のファントム機2機が123便を追尾していた

これは評論家の森永卓郎氏が述べており、地元で墜落機を目撃した子供達が絵にも書いているのですが、これは説ではなくWikipediaにも載っている「事実」です。

123便がスコーク7700を発信したのち、レーダーから消えたので航空自衛隊は墜落と考え、茨城県 小美玉市にある百里基地よりファントムF-4を2機、緊急発進させ123便の行方を追っていたのです。千葉県愛宕山の航空自衛隊 中部航空警戒管制団第44警戒群が123便のスコーク7700を受信、その後レーダー消失を確認し上級部隊である中部航空方面隊に報告が行き、航空救難を主目的とする航空自衛隊中央救難調整所が活動を開始した結果であり、この報告指揮手順、作業管轄にはなんら不可思議な点はなく、当然の行動だったのです。この18:56にレーダーから消失を確認した5分後にファントム2機は発進しており」、報告、指揮系統は素早く行われており、事故発生時に静岡県沖を航行しており標的機を発射したとされている自衛艦「まつゆき」の所属である海上自衛隊と航空自衛隊の間で何らかの連携があったとは考えにくいのです。仮にあったとしても滑走路が無ければ離発着出来ないファントムF-4が行って捜索以外の何が出来るでしょうか?

しかし「自衛隊の戦闘機が後を付けていた」と解釈されてしまい「後を付けていたのは何か問題があったからだろう」と考えられてしまっているようです。地上の災害救助は陸上自衛隊の担当であり、空の災害救助は航空自衛隊の担当です。つまりファントム2機は、豪雨被害の災害地に陸上自衛隊が派遣されるのと同じように123便の捜索に出ていたので、それは当然のことなのです。

私達、一般庶民のほとんどは普段、戦闘機が飛んでいる所を見る事はありません。ですので、戦闘機が飛んでいると、「何事か?」と思います。しかも、この時は123便がレーダーに映らない低空を飛んでいる可能性を考えファントム2機も低空飛行していた、との事で、見た人に強い印象を残したことは間違いないでしょう。それが、いつのまにか陰謀説と結びついてしまっているのではないかと思われます。

・最初に事故現場に到着したのは米軍のヘリであったが日本政府は救助を拒否した。しかし

実際に自衛隊、地元警察、地元消防団などが墜落現場に到着したのは墜落から11時間半も経った翌朝9時頃であった。米軍ヘリから位置情報が入っているのに、なぜ、こんなに救助開始が遅れたのか? 最初に到着した米軍ヘリに救助を依頼していれば、もっと沢山の人を救えた のではないか?

これは墜落原因ではなく、墜落後の対応がおかしい、という内容です。当時のボイスレコーダーにも残されている内容ですが事態を知った米軍は事故機に近い米軍横田基地への着陸を勧め、羽田管制もそれを機長に伝えています。しかし、方向制御機能を完全に失っていた123便は、もはや横田基地に向かうことはできませんでした。しかし、この事で米軍も123便の緊急事態を早期に把握したいた事が分かります。そして、ちょうど沖縄から横田基地に向かっていたC130輸送機に連絡を入れ123便のレーダー消失地点に向かうよう命令を出しています。そのC130輸送機に乗っていたマイケル・アントヌッチ中尉の手記が米国の雑誌で紹介されました。手記によると消失地点に向かったC130は現場山中で火災が起きているのを見つけ横田基地に報告したところ、「海兵隊のUH-1ヘリが向かっている」と返事が有り、暫くするとUH-1ヘリがやってきました。

しかしUH-1から「降りようとしたが煙と炎がひどくてとても着陸できない」とC130に連絡が入りました。それを横田基地に連絡したマイケル・アントヌッチ中尉は横田基地の将校から「中止して帰投せよ。日本の自衛隊が対処する」と命令を受けます。

アントヌッチ中尉は「今、一番近くにいるのは我々であるのに自衛隊が救助を拒否した」と書いており、この手記を読んだマスコミは自衛隊の対応を非難しました。生存者の一人、落合由美さんの証言には以下のようにあります。「闇の中からヘリコプターの音が近ずいてきた。バリバリと爆音をたてて、木々の葉を大きく揺らしながらホバリングをはじめた。辺り一面、埃や砂、機械の臭いが舞い上がる。

『ああ、私は生きてる、これで助かる』全身の痛みをこらえ、かろうじて動く方の右手を必死に空に向かって伸ばした。『助けて下さい、私は・・・ここに・・・』と夢中で手を振る。『助けて』『帰っちゃいや』『誰か来て』そのような何人もの声をかき消すように、ヘリコプターは爆音と共に段々と遠くに去っていった」 ※吉岡忍著 「墜落の夏」より引用このホバリングしていたリコプターは米軍海兵隊のUH-1ヘリだったのです。

マスコミは「明らかに、ヘリが来た時点では、まだ沢山の人が生きていた。この時点で救助していれば、もっと沢山の生存者が出たのではないか?」と自衛隊の対応を非難したのです。これに対し航空自衛隊中部航空方面隊司令官松永貞昭氏は、「米軍の日本側に対する申し出は、『一般的な支援提供が可能な状態にあり、医療班を集合させ、ヘリコプター1機を待機させている』という連絡が、20時30分頃、入間の指揮所にあっただけ。日本側は『まだ探索中であったために、そのまま待機してください』とお願いしました……これが経過の全容です」と述べています。

話が少しそれますが、落合由美さんは、この事故の数少ない生存者であり、かつ現役のフライトアテンダントであり他の生存者よりも証言内容の正確性と信憑性が高いと考えられます。ですので、ネット上では「落合由美さんの証言」と称したデマが多数流されている事にお気をつけ下さい。吉岡忍氏と落合さんは、そういった状況を踏まえ吉岡氏が落合さんの証言を書き取り、その後、落合さん自身が一言一句、全てに目を通しチェックしたうえで公開されているのが「墜落の夏」という本です。落合さんの証言で信用性が有るのは、この本に書かれている事だけ、と考えるべきです。ネット上の「落合由美さんの証言では……」というのは、書き手が自分の都合の良い部分だけ拡大したり都合の悪い部分はカットしたり、中には改変、明らかな捏造が行われている物も存在します。ここまでが墜落直後の状況ですが、明らかに的外れな点がいくつかありますので、まず、それを指摘しておきたいと思います。

例えば大規模な土砂崩れなどが発生した場合、自衛隊に協力要請をするのは自治体です。逆に言えば自衛隊は協力要請無しには活動は出来ないのです。これはちょっと考えてみても理解出来る事だと思います。これは米軍についても同じであり、米軍は協力要請無しに勝手に動くことは、本来、許されません。これが本国内なら多少の融通も効くのかもしれませんが現場は日本国内なのです。

そして航空機事故の場合は自治体ではなく「救難調整本部」という事故の救難本部からの要請が無いと自衛隊も米軍も本来は動けないのです。ですので、自衛隊がファントム2機を捜索に飛ばしたのも米軍がC130とUH-1を向かわせたのも厳密には「要請がないのに行動した」という事になり通常時なら問題になりかねない事なのです。しかし航空自衛隊も米軍も緊急事態だと判断したので要請を待たずに行動に出たのです。これは「人命最優先」と判断したからでしょう。

そして123便の救難調整本部は東京航空局東京空港事務所(羽田)内に「東京救難調整本部 (Tokyo RCC)」として事故発生とともにただちに設置され、防衛庁、警察庁、消防庁、海上保安庁などの関係機関に協力を要請したのです。ですが米軍には協力要請をしませんでした。ですので、横田基地の米軍将校は「自衛隊が対応する。米軍は引き返せ」という指示を現場に出したのです。従って、この件で非難されるべきは自衛隊ではなく米軍に協力要請をしなかった「東京救難調整本部」なのです。しかし仮に、米軍に協力要請していたとしても、どれ位の救助活動ができたかは疑問です。マイケル・アントヌッチ中尉の乗っていたC130は輸送機ですので滑走路が無ければ降りられませんし、元々救助目的で飛んでいた訳ではないので何の救助装備もありません。

また横田基地から来たUH-1も普通のヘリであり救助用ヘリではありません。ですので、ホイスト(吊り上げ機構)や大型サーチライトを装備しておらず乗員がロープを使って降下することはできませんし、暗闇に照明を当てる事も出来ないのです。それでも下に降りようと試みたのですが、あまりにも火災の勢いが強く、遂に着陸する事はできなかったのです。

通常、航空機が故障し墜落してしまうと機長が判断した場合、機長は墜落前に燃料を廃棄します。なぜなら墜落後に燃料が残っていると大爆発や大火災を招くからです。

しかし燃料を廃棄できるのは海の上とか砂漠とか無人地帯でしか出来ません。またボイスレコーダーを聞くと分かりますが機長達3名のクルーは最後の最後まで諦めずに墜落を回避しようと全力で努力していました。燃料廃棄は「もうダメだ」と諦めた時の決断ですが、123便のクルーは諦めなかったのです。従って燃料を廃棄せず墜落したため「墜落現場は無数の火柱が合わさって巨大な火炎が上がっている」状態だったのです。

さて、ここまでの記述で「あれ?」と思う点が、いくつかあると思います。まず、現場がそんな状態なのに、なぜ落合由美さんは先のような回想が出来たのでしょうか?

それは落合由美さんが後部座席に乗っていたからなのです。墜落した123便は胴体が2つに折れ、機体後部部分だけは別の場所に飛ばされ、そこでは火災が発生しなかったのです。

生存者4名は全員が、この飛ばされた後部座席に座っていた人達でした。しかし真っ暗な状態の山の中で物凄い火柱が立っている本体墜落現場を見たら、そちらに注意が行ってしまうのは当然です。つまり「飛ばされた機体後部」に乗っていた落合由美さん達の存在に米軍のヘリは全く気づいていなかったのです。

もし、この時、別の場所に落合由美さん達がいると知っていたら、間違いなく、ヘリはそちらの救助に行っていたでしょう。悔やむべきは、その点ですが、真っ暗闇の中、サーチライトの装備も無いヘリでは、それが分るはずもなかったのです。

つまり、米軍に救助要請を出していたとしても、別の場所に生存者がいる、という事を知らなかった以上、助ける事はできなかっただろうと考えるしかないのです。

また21時05分に航空自衛隊のKV-107ヘリコプター2機が救急隊員を乗せて現場に到着していた事はあまり言及されていません。

実は、KV-107の出発時点では「東京救難調整本部」から自衛隊への協力要請は、まだ出されていませんでした。その理由は「場所が特定できないから」という物でしたが、先発のファントム機から位置連絡を受けていた航空自衛隊は協力要請を待たずに、すぐに救助ヘリを飛ばしているのです。米軍のUH-1も自衛隊のKV-107も「協力要請なんぞ待っていられない」と判断した訳です。もちろんファントム機からの位置情報は「東京救難調整本部」に連絡されていたのですが「東京救難調整本部」には日本航空からの情報や運輸省からの情報も入ってきており、しかも、それらが全て違う内容なので、どれが正しいのか判断できない状況で「場所が分からない限り応援要請はできない」という役人的発想が協力要請を遅らせていたのです。この情報の錯綜は地上救助隊の初動を大きく遅らせる原因にもなっています。

しかしUH-1ヘリよりも大型のKV-107ヘリが着陸できるような場所はどこにも無かったのです。かといってホイスト(吊り上げ機構)で救急隊員を降ろそうにも、あまりに火の勢いが強く、吊り下げた救急隊員が危険でした。KV-107、2機のメンバー達の間で「何とかならないのか」と激論が交わされました。「近くの森に照明弾を落とし、場所を確認してから落下傘で降下すれば何とかなるのでは?」など、色々な方法を考えたそうですが火災による火炎流が物凄く、降下したら火炎流に巻き込まれてしまう可能性が高く、そうなると2次災害が起きてしまう結果となります。そして遂に上空からの救助は不可能、という結論に達し引き返さざるを得ませんでした。そして残念ながら、このメンバーも機体後部が別の場所に飛ばされて、そこに生存者がいる事には気づかなかったのです。墜落地点周辺は真っ暗闇である事を考えれば、気づけなかった事を責める事はできないでしょう。しかしKV-07は2時間後に再度、やってきました。火災が少しでも収まっていれば救助が出来るかもしれないからです。ですが2時間後でも状況は全く変わっておらず、やはり諦めざるを得なかったのです。

さて、一方、地元の上野村では群馬、長野、埼玉の各県警警察、消防団、自衛隊が集合し救助に向かおうとしていました。しかし、まだGPSも無い時代です。そこへ目撃情報の連絡や、日本航空の推定墜落地点、運輸省の推定墜地点などの情報が錯綜してしまい、地上捜索隊の墜落場所特定は大変な困難を伴い、まず初動が大きく遅れました。

そして、やっと御巣鷹山尾根と特定された物の、御巣鷹山は江戸時代に徳川将軍家の「鷹狩場」に指定されており一般人は入山禁止とされていた場所で、地元の人でも山に入った事がある人は一人もいなかったのです。つまり江戸時代以降、ずっと放置されていたので全山が原生林で覆われており、山道もありませんでした。従って御巣鷹山への登山は困難を極め、墜落現場にやっと到着出来たのは墜落から11時間半経った午前9時半過ぎの事でした。登山道など全く無い原生林の中を登るのですから、いくら照明を持参しても夜間では危険すぎるので午前5時を少し回って日が昇ってからの登山作業開始となったのは、そういった事情があったのです。登山道を車で登れるような普通の山であれば、夜間、すぐにでも活動開始できたでしょう。しかし御巣鷹山は普通の山ではなかったのです。

しかし、仮の話ですが救難調整本部が素早く決断し米軍にも協力要請をし、かつ御巣鷹山が「普通の山」で夜間でも自動車で登山できるような山であったとしても多分、大部分の人達は救えなかったと思います。KV-107、2機のメンバーと同じで地上部隊が駆けつけても燃え盛る大火を何とかする術はなかったと考えられるからです。僅かに望みがあるとしたら、飛ばされてしまった機体後部がもっと早く発見されたかもしれない、そうなれば生存者数は増えたかもしれない、という事、位だったと思われます。胴体部に乗っていた人達は、全員が最初に米軍のC130が到着した時点で、既に死亡していたと考えられます。ヘリが着陸できないほどの火炎流が発生している中で生存しているとは、とても考えられないからです。当時はまだ、空港の整備が進んでおらず1日に離発着できる航空機の数に限界が有り、一機に沢山の乗客が乗れるジャンボジェット機が主流でした。520人という大量の犠牲者を出したのは、そのためでもあります。

「オレンジエア」と聞こえてしまう航空整備士が残したボイスレコーダーから発生したと考えられる各種の陰謀説では自衛隊が悪者扱いされていますが、そもそも航空整備士は「オレンジエア」とは言っておらず、そのような隠語も存在しなかったことは当時のパイロット達の証言とコックピットの会話からも明らかです。フライトデータレコーダーの分析で衝突説は否定され、羽田管制のレーダーにも衝突したとされる飛翔体の記録はありません。もう、これで十分ではないでしょうか? 不幸な出来事は誰にでも起こります。そして不幸な記憶は日常という時間のひだの中に折りたたんでしまう他はないのです。

もし、一つでも陰謀説を直接に裏付ける確実な証拠があれば話は別ですが、この事故は調べれば調べるほど、陰謀説を否定する材料しか出てこないのです。もう事故から36年という月日が流れました。既に事故の事を知らない世代も多くなってきています。YOU TUBEの自分の再生回数を上げたいがために520人という沢山の犠牲者を出した不幸な事故を何の根拠もない陰謀説で、ひっかきまわす行為は、もう止めて頂きたいと切に思います。

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